モノがない贅沢を堪能

無機質な何もない部屋。
究極のミニマリストは、机も椅子もベッドもない。
引っ越ししたばかりでまだ荷物が届いていないような状態の部屋。
がら?ん。
本人が快適なら他人の口出しする幕はない私處脫毛
だが、その価値観を他人に押し付けられてはたまったものではない。
ましてや時代の風潮ともなると、古い価値観を持つ人には息苦しい世の中になる。

わたしの子供達は、今風の感覚。
特に親であるわたしが、こんなのだから(断捨離抵抗派)、尚更、モノがない贅沢を堪能している。
贅沢=空間。
モノで埋め尽くされた空間は、限りなく不快。
というわけだが、実家(わたしの家)に四季の服や今はとりあえず着ない服などを置いて、季節ごとに入れ替えている。
ベビーの成長に伴って不要になったものや、今から必要とするものを置いている。
実家はレンタルボックスか。
そのせいで、ただでさえゴチャゴチャぐちゃぐちゃなのに、2階はまるまる収納庫となっている。
自分の家はスッキリで快適だろうけれど、はみ出した贅肉担当、引き受け係としては、どうかと。
さらに、夫はどこかで貰ってきたのかどうしたのか知らないが、自宅トレーニングマシーンやら、かさばるものを放置。
レーニングしているところは、一度たりとも見たことがない脫毛 邊間好
地元地域密着フリーペーパーに告知して、「取りに来ていただいた方に無料でさしあげます」とでも出せばよいのだろうけれど、面倒くさい。
なんでもかんでも、面倒くささが先に立つ。
するとどんどん処理が後回しになり、気づけばガラクタの山。
断捨離にわたしは抵抗しているのは、好きなモノでも捨てよ、ということに関して。
要らないモノ、ガラクタはとっとと捨てたらよいのだが、いかんせん、お尻が重い。
頭にずしっと漬物石が載っているところに、断捨離断捨離と騒がれると古傷が痛むように、「わかってるって! 今からしようと思ってたの! ああ、またやる気が萎えたー」などと、親に勉強しろ!と頭ごなしに怒られる中学生の気分。
自主性を尊重してよ、と相手の包容力や待つ力、忍耐力を半ば強要し、自主性などいつ育つのかも予定が立たない言い訳ばかりで、現在の自分の怠惰を人のせいにしたがる755 脫毛
この場合の相手とは、家族でもなければ世間でもなければ、自分なので厄介だ。
自分と向き合い対峙するには時間がかかる。
(て、たんなるサボり)

要るモノと要らないモノを分けるという意味では、ゾーン分けされている。
2階のAゾーンとBゾーンにあるものは不要物である。
Cゾーンにあるものは必要と不必要が混じっている非分離グレーゾーン。
Dゾーンも混じっている。
とすると、AゾーンとBゾーンだけをとりあえずゴッソリ捨てたら、不要物破棄に拍車がかかかるかも。