と慈悲と慎みの

 江戸期随一の名君、上杉鷹山が生涯の師として高く
仰いでやまなかったのが細井平洲である。平洲が鷹山
に繰り返し教えたことは、誠と慈悲と慎みの心であっ
た。
 そして藩主としてもっとも大切な姿勢は、万物の父
母たる天地の心を心として民の父母となり自己を慎み臍帶血
民と労苦を分かち合うこととした。鷹山は恩師の教え
を怠ることなく実践し、72歳の最後まで自省と慎みを
忘れなかった。
 平洲は三度、江戸から米沢を訪れ、士民に教えた。
最後の訪問のとき、鷹山は城下5キロの郊外路上で平
洲を出迎えた。普通あり得ないことであった。平洲は
真心に涙を流してこう語ったthermage

 「愚情は(私の気持ちでは)地に手して拝し(平伏
すること)たく存じ候えども、侯の態度、左候えば
(もしそうすれば)地に手して答拝これあるべき様子
ゆえに、是非なく足の甲に手にして拝し(最敬礼する
こと)申し候。まず何の言もなく老涙満顔にござ候。
侯も一向無言に涙満面、『先生ご安泰』とばかりにて
『ご案内申すべし』と寺内に入られ候」
 このとき、鷹山は平洲の手を引かぬばかりに肩を並
べて歩いた。
 この様子を近くで座ってみている近隣の村民たちは
深く感動し、みな声をしのびすすり泣いた。鷹山の至
誠と村民の感泣に感極まった平洲は、「ここにおいて
愚老なる者、豈(兄)泣かざるべけんや、豈泣かざる
べけんや」と記している暗瘡印