19世紀という時代、世界は遠く隔っていたが、同じ人情世界で生きていた、
と言えるのではないだろうか。
ちょっと抽象的な表現になったが、例えば、ジャズはアメリカ。浪曲は日本。
遠く隔たっていたが、ほぼ同時代の産物第三代試管嬰兒。
ジャズにはヴァースと呼ばれる「語り」から次第にメロディに入って行くスタイル。
その「語り」には、人情や愛の機微を語るように謳う。
一方、浪曲も「語り」から節回しへと変化する。唄われているのは人情話。
かの時代の人々は、歌い手が語る「人情話」に涙しながら曲を聴いていたとも言える。
その頃、フランスではバルザックの時代。100編近い小説『人間喜劇』を書いている。
そこに描かれたストーリーには様々な人情噺が鏤(ちりば)められていて、
目頭を熱くさせられるものも多い。
そんな一つに『ことづて』と題する短編小説がある。このあらすじを紹介すると。
ある青年がパリからムーラン行きの乗合馬車に乗ったところ、
同じ年頃の青年と隣り合わせになる。二人は様々なことに話が弾んで、
お互いの戀人の話にまで及んだ。両者ともに戀人は年上の人妻であることがわかり、
意気投合。會話を弾ませながら馬車の旅を楽しんでいた子宮檢查。
ところが、この馬車が転覆してしまう。話していた青年が馬車の下敷き。
青年が、今際(いまわ)の際で「自分はもう助からない。
この手紙を戀人・伯爵夫人のジュリエットに屆けて欲しい」そう語って死んでゆく。
生き殘った青年は、その伯爵家を見つけ出し、邸宅に行く。
まずは伯爵と會い、夫人にお會いしたい旨を伝える。
伯爵は、貴族の立場にありながらも、いたって気さくな人柄。
青年は、子爵であった青年の死を告げる。伯爵は、その「ことづて」を聞き、
(伯爵は妻との関係を察知しており)青年に「それを聞けば妻は悲しむだろう」と語る。
そこに現れた夫人に語ろうとすると、夫人は話し聲が聞こえていたのか、
涙して青年の言葉を聞かず、家に中に入り出てこない。
青年は、その夜、伯爵家で泊まり、翌朝に出発することになった牙隱痛。
青年の部屋に深夜、夫人が訪ねてきて経緯を聞いた。
持っていた青年子爵の遺髪を彼女に渡すと
「あなたもきっと愛していらっしゃる方がおありなのでしょうね」