年が運んできた夕げの膳を

作家の丸谷才一は、日本人の理想像として、教科書にまでのったニ宮尊徳
をひょんなこと
から大嫌いになったという、何かの本で尊徳にまつわる逸話
を読んだのが原因だった助聽器購買

 
 それには、尊徳先生を慕って弟子入りした若い男の話がのっていた。青年
は尊徳のところへ
何度も訪ねて、さんざん門前払いをくったあげく、何十回
目かにようやく、お目通りがかない
それからまた懇願、哀願を繰り返したあ
げく、やっと、入門を許される。そして、最初にいい
つけられた仕事はその
日の晩飯のまかない方だった通渠佬

 
 準備ができて、青年が運んできた夕げの膳をジロリとみた尊徳が「手をお
出しなさい」とい
った。若者が手を出す、尊徳は、その手に皿の上のタクア
ンを箸でつまんでのせた。タクアン
は下のところがよく切れてなくて一つづ
きになっている。
 尊徳はおごそかにいった。
「これをもって帰りなさい」

 
 このもったいぶったやり方が丸谷才一のカンにさわったのである。

 
「報尊教の信者ならば、きっと大先生はこうすることによって、どんな些細
なことでも入念
にやらなくちゃいけない。その小事が結局は大事である、と
いうことを、骨身にしみるように
教えて下さったのだ。と、説明するだろう短租公寓
しかし、わたしは、こういう芝居がかったやり方
が大嫌いだ。
 わたしに言わせれば、タクアンは、しょせん、タクアンにすぎない。天道
と人道
との調和を、学びたい青年にタクアンを切らせるのもつまらぬハッタ
リだが、やっとの思いで
入門した弟子を、こんなことで破門するのは、冷酷
である。こういう態度は、まことに下等な
精神主義で、教育者とか、批評家
とかが、自分を偉そうに見せかけたいときに使う安易な手に
すぎない」とボ