あの日の朝、ニュースで、首里城の火災が報じられていました。
テレビの画面いっぱいに、燃え盛る首里城が映っていました虛擬辦公空間 尖沙咀。
沖縄の人は、がっかりしたでしょう。
だから、こんな事を書いたら、顰蹙を買うかもしれないです。
でも、ここは個人のブログ。
個人的な感想を書いちゃいます。
炎に巻かれた首里城は美しかったです。
闇の中で輝く炎は、恐ろしいくらい美しかったです。
速水御舟の「炎舞」も敵いません。
芥川龍之介の「地獄変」でさえ、規模が小さく思えます美國eb5。
原始的な何かしらが掻き立てられるような美しさでした。
思えば、日本各地に様々な火祭りがあります。
炎で山に字を書いたり、大きな松明を振り回したり、
火の上を渡ったり、炎に飛び込んだり、
まあ大変。
消防車を待機させてまでやってます。
厄落としや五穀豊穣を祈ることが多いようです。
やっぱり原始的な何かしらに掻き立てられている気がします。
観光資源になるような有名な火祭り以外にも、
お盆には迎え火や送り火を焚きますし、
お正月の締めには、どんと焼きがあります。
役目を終えた松飾りや、古いお札を燃やします。
どんと焼きの炎で、残った餅を焼いて食べると、
無病息災になるそうです。
今のように街灯や町灯りが無かった時代には、
炎の美しさは、ことさらに格別だったのではないでしょうか。
それだけで、ご利益を感じたことでしょう。
火は、破壊であることと同時に、再生の象徴でもある気がします抗老。
古きものの滅びを惜しみつつ、
新しく良きものが生まれることを祈ることにします。