何か思うだろうが

なにしろ、失くしてしまっていた。
もし、将来、形見分けの時期でも来たら、義姉になんと言い訳しよう、、、
「気がついたら、いつの間にか無かった」と盗難路線を推し進めようか、、、はたまた、「そもそも、そんなものの存在は、有ったことなどハナから知らない」と、シラを切り通そうか、、、など
など。
まあ、誰も何も言わないと思うが脫毛公司比較
義姉は何か思うだろうが、何もこちらから切り出さなくても、言われたら何かしら返答すれば良いと考えていた。
見つかった今でも、言っても言わなくても良いと思っている。
姑のモノは、わたしのモノ。
家のモノはわたしのモノ。
そう姑がわたしに言っていた。
良きにせよ悪きにしろ、管理者に全責任がある。
相手の出方を待ってから対応するのが、わたし流。
後出しジャンケン。ずっこい(「ズルイ」の方言)

それはそうと、
そう必死でしがみつくようなシロモノでもないのだが、(精神的には意味があるものなので)ずいぶん気にかかっていた。
一生、出てこないだろうと覚悟を決めていた。
喉に骨がささったまま、お蔵入り、迷宮入り未解決案件とともに生き続け、次第には忘れ去ることだろうと思っていた。
別に、有っても無くても、(僅かばかりの換金性はあるだろうが)実質的にはなんの役にも立たないモノであるhpv病毒
(そんなこと書くと、せっかく姿を表したソレが、また雲隠れしてしまいそうだが)

いずれにしても、すっかり諦め切っていたモノが見つかり、有頂天になっている。
昨日、見つかったその日が、関係者の命日とか、記念日か、何かの関わりがある日だったのか、調べてみた。が、まるで関係なし。
この喜びと、失くした残念感、喪失感と、どちらが大きいか。
失くしたのはわたしの全責任で、見つかった、出てきたのは、関係者一同(故人数名含む)の目に見えない力、協力、チーム総合力だったように、勝手に感じている。
嫁として、炭酸水の気が完全に抜けた、もはや置物の如く動かない手抜きサボりのわたしを、ヒヤリとさせ一喝した?
無事出て来て、まだまだ頑張れ!と応援した?
出て来たのが、わたしがあの世に行く直前ではなく、老人ホームに入る前日でもなく、今の時期であることに、(故人数名を含む)皆んなが、わたしに伝えたい意図があるように感じた梅毒症狀