に自分がどう映

わたしは、好きな格好をする。
だが、鏡に映る自分の姿を見て、これ、嫌だなあ、ブサイク、と思うと止める。
まだこれなら許せる?と感じると着る。
あまり、行き過ぎた格好は自分が快適ではないので、避ける。
あきらかに似合ってない。
自分の気持ちと格好が合ってないと、却下する。

誰かの目を気にしてではなく、わたしの目に自分がどう映るかが、ジャッジ基準だ肩頸痛 舒緩
顔や年齢、スタイルをトータルして自分が自分を見て、これでオッケーというものはマル。
ただし、着心地がよいものが好き。
快適性を犠牲にして、見てくればかりにこだわる年齢はとっくに過ぎた。
そこまで頑張っても、頑張りほどの成果は現れない。
頑張り損。
努力に見合う、合理的な線に落ちつく。

他人からどう思われようが、全然気にしない。
問題は自分にどう映るかだ。
そして、他人はあんまり他人のことなんか見ていない。
なら、自分が好きなようにするほうがいい。

とてつもなく変ではないと思う。
理想と現実の折り合いをうまく自分なりにつけていると自分では思っている醫學美容
ここまで大口をたたき自慢げに長々と書いて、はい、全部、服はユニクロですーー、では、皆さん、こけそう。
全てユニクロではなく、一部ユニクロ
あとは、直近?数十年のうち、好きだった服をちょいちょい取り出して、組み合わせて着ている。
自分が好きだった服なので、今、着ても割と好き。
人からはどう思われようが、年齢を積み重ねた先にある、自分の世界である。
ここまで来ると、服なのではなく、自分が好かどうかなような気がする。
パリの地下鉄の窓ガラス、ショーウィンドウに映る自分はブサイクで嫌悪感があったが、今、同じ姿の自分を見ても、きっと愛おしい、自分らしい姿だ、自分らしくて悪くないと思うことだろう。
これは、自己肯定感が強い、たんなる勘違いかも知れないが、ファッションは自分のためにあると考えている。
人のマネでもなければ、ファッション誌のパクリでもなく、シニア世代のゆるゆる楽々服、でもない。
少し今のテイストも取り入れたい。

ファッションは自分を包む外側。
外側だけ頑張っても、中身との乖離があれば、調和を生ない。
とかなんとかいって、たんなる自分流であります皮秒激光邊間好